「イエス様について語りなさい」
そのとき、イエス様は声高く叫んで
「御父様、私の霊を御手にゆだねます」と言われ、
息を引きとられました。
(「ルカによる福音書」23章46節)
私たちの罪はイエス様のゴルゴタの十字架での苦しみを
おぞましいものにしました。
私たちのうちの誰一人、その責任を逃れることはできません。
私たちは全員、イエス様を十字架につけた者なのです。
私たちをその罪からあがなうため、
イエス様は苦しみの杯をその最後の一滴に至るまで
すっかり飲み干してくださいました。
御父は御子をお見捨てになりました。
それは、神様が私たちをお見捨てになることが
決して起こらないようにするためでした。
すべてはもう用意ができています。
死の瞬間にイエス様は自らの霊を天の父の御手にゆだねられます。
イエス様の死のおかげによって、
私たちもまた天の父なる神様のことを自分らの霊的な父親として
「天にましますわれらの父よ」(主の祈り)と
呼びかけることができるようになりました。
私もまたいつかは死ななければなりません。
そうなるのも遠い未来のことではないかもしれません。
しかし、その時が来ても私は恐れる必要がありません。
なぜなら、イエス様が十字架の死によって
私を天の父なる神様と和解させてくださっているからです。
イエス様と同じように私も「御父様、私の霊を御手にゆだねます」
とはっきり言うことができます。
天は私に対しても開かれているのです。
このことについて、
私は他の人たちにもためらうことなく話しに行かなければなりません。
彼らもまたイエス様の血によってあがなわれた人々なのですから。
私はイエス様について話します。
罪が赦されていること、
天の楽園の扉が開かれていること、
について話します。
世界中の多くの人々はまだこのことについて聞いたことがありません。
私は前にもまして、あなたの御国が来ますように、
そして、イエス様の愛が私の口や手や財布を開かせてくださるように
と祈ります。
私自身、イエス様の愛を受けている者です。
ですから、私がこのように祈るのは当然なのです。
(祈り)天の御父様、
あなたがイエス・キリストを通して私たちに罪の赦しをくださった
私たちの御父であることを私が他の人々にも語ることができるように、
どうか私に聖霊様をお与えください。アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」1章18~31節