「敵か、味方か」
モーセは宿営の門に立って
「主に属する者は私のもとへ(来なさい)」と言いました。
(「出エジプト記」32章26節より)
戦争では誰がどちらの側についているか知っておかなければなりません。
それゆえ、戦車、船、その他すべてのものに味方である目印をつけます。
誰が味方で誰が敵かを識別するのは不可欠です。
これはキリストの御国にもあてはまります。
誰がキリストの側の者かを常にはっきりと識別できるとはかぎりません。
もしもキリスト信仰者が時流に流されて
他の多くの人々と同じような罪の生活を送るなら、
キリスト信仰者としての目印は消えてしまいます。
キリスト信仰者が主イエスに素直に従う心を忘れてしまっている場合が
時折見受けられます。
彼らは自分が誰の側の人間か忘れてしまい、
いつしか主の軍勢から逸脱してサタンの群れに加わってしまった者たちです。
主に属する者として私たちは主に従う意思表示を公にしたのです。
私たちは主の尊い血によって目印をつけられています。
どこで戦いが起きているか私たちは把握しているでしょうか。
敵のことを知っているでしょうか。
この信仰の戦いでは神様が賜った武具を正しく使用する必要があります。
使徒はこう言います、
「あらゆる祈りと願いを通してあらゆる時に御霊にあって祈り、
そのために、あらゆることに耐え、
すべての聖徒のために祈りつつ目を覚ましていなさい」
(「エフェソの信徒への手紙」6章18節)。
(祈り)万軍の主なる神様、
信仰の戦いを立派に行えるようにどうか私たちを訓育してください。
また、神の小羊なるイエス様の血と証の御言葉を通して
私たちに歓喜の勝利をお与えください。アーメン。
(関連聖句)「出エジプト記」32章26~35節