「あなたは自分を正当化することができません」
ですから、ああ、すべて人を裁く者よ、
あなたは自分を正当化することができません。
あなたは他人を裁くことによって自分自身を罪に定めているのです。
裁くあなたも同じことを行っているからです。
(「ローマの信徒への手紙」2章1節)
私たちは自分の欠点をまったく些細なものとみなす一方で、
同じ罪について他の人々をこの上なく厳しく裁いたりします。
自分自身には甘く他人には非情な態度をとるのは簡単なことです。
他の人のことを「なんて無責任な」と言っている私たち自身も
冷たい人間です。
他の人のことを「けちな人だね」とみなしている私たち自身も
ほんの少ししか人に分け与えません。
他の人のことを「告げ口屋め」ときめつける私たち自身も
隣り人について悪口を言っています。
他の人に「ここを直しなさい」と注意するくせに、
自分が注意されると我慢できなくなります。
ユダヤ教から転向した多くのキリスト信仰者は
まさにこのような態度をとりました。
彼らは聖書をよく知っていたにもかかわらず、
それに従いませんでした。
それなのに彼らは、
神様の御言葉に関して彼らほど知識をもっていない、
異教から転向したキリスト信仰者に対して、
とても厳しい要求を突きつけました。
これは私たちにもあてはまります。
罪の赦しがイエス様の十字架の死と復活の御業のおかげであることを
知っているのに、私たちはわざと不信仰な生活を送っています。
神様の子どもでありながら、
私たちはこの世に執着しています。
私たち自身、憐れみを受けた者なのですから、
他の人を憐れまない態度をとらないようにしましょう。
私たちはイエス・キリストにあって真理を知るようになったのですから、
真理の中を歩みましょう。
これは、自分の罪と弱さを絶えず告白することを意味しています。
(祈り)神様、私を検査して、私の心をお知りください。
もしも私の道が徒労の道なら、どうか私を永遠の道へと導き入れてください。
アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」2章1~24節