「フル」
アロンとフルは、モーセの手をそれぞれの側から支えました。
(「出エジプト記」17章12節より)
イスラエルの民が約束の地への旅を続けていた時、
アマレクの民が彼らに戦いを仕掛けてきました。
モーセは神様の杖を手にとって山に登り、戦いを見守りました。
モーセが手を高く上げていた間は、
イスラエルの民が勝ちそうになりました。
イスラエルの民が勝ちそうになりました。
ところが、モーセが疲れた手を下げると、
アマレクの民が勝ちそうになりました。
アマレクの民が勝ちそうになりました。
戦いが一日中続いたため、モーセの手は疲れてしまいました。
その時、アロンとフルが彼の手を支えはじめました。
敵が打ち破られるまで、それは続けられました。
フルはこのたった一つの目立たないけれども必要不可欠だった行いのゆえに
聖書にその名が記されています。
私たちも自分の目立たない任務を軽んじないようにしましょう。
(そうは見えなくても)それらは実は
偉大な事業におけるきわめて重要な任務であることがしばしばあるからです。
このような奉仕の模範を示されたのは、
奉仕されるためではなく奉仕するためにこの世に来られたイエス様です。
イエス様への信仰を通して、
私たちは喜びをもって献身的にイエス様に仕えることができます。
たとえ私たちの任務が周囲の人々の目には取るに足らないものに見えたとしても、
それは変わりません。
イエス様に自分の人生の舵取りをすっかりおゆだねするとき、
私たちは自己の任務に忠実な者であると認められます。
たとえその任務がどれほど些細なものに見えたとしても、
それは変りません。
イエス様は
血の汗を流すほどまで、
また十字架で死なれるほどまで、
御自分の任務を忠実に果たされました。
それは、私たちを「イエス様に属するもの」とするためでした。
イエス様は私たちを
罪の隷属状態や悪魔の専制支配から救い出してくださいました。
それによって、私たちがイエス様にお仕えできるようになるためでした。
たとえ私たちの奉仕に他の誰も気づかないとしても。
(祈り)主イエス様、
私がどんな小さな任務に関しても忠実であるように助けてください。
(関連聖句)「出エジプト記」17章8~13節