2016年10月7日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ミカ書」4章1、3b節(その1)

終わりの日々には、
主の家の山は山々のかしらとして堅く立ち、
どの丘よりも高くあります。
そして、諸国民がそこへ押し寄せます。
(中略)その場所で彼らは剣を鋤に、槍を鎌に作り変えます。
国民は他の国民に向かって剣を上げず、
これから先は戦争を起こしたりしなくなります。
(「ミカ書」413b節)(その1)
 
私たちは平和な時代には
生命、妻、子供、家屋敷、手足や目など身体の各部、健康、自由などを
保つことができます。
私たちは平和という防壁の中で安心できます。
平和があるところでは、
天の御国がすでに半ば実現しているのです。


平和という恩恵は、
(防壁に囲まれた)都市の中だけが安全だというのではなく、
田舎でものどかで生活しやすい環境が整い、皆が安心して道を歩いたり、
畑を耕したり、苗を植えたり、放牧したりして、
各自が自分の生業に専念できる、ということです。

正直で頼りになる隣人の存在も平和の実のひとつです。
このような隣人がいるということは地上最大の恵みの賜物のひとつです。
彼らからはよい助けをいつでも期待できるし、
平和を実現するために彼らの存在は、
鉄の壁に囲まれた都市を世界中の軍隊が警護している場合よりも
確固とした基盤となります。

力ずくで押さえつける支配のほうが
相互の友好関係に基づく支配よりも強固だと考えるのは
まったくの間違いである、と私は思います。
暴力で強制しても長続きはしないものです。