「喜びの中にある力」
主を喜ぶことがあなたがたの力です。
(「ネヘミヤ書」8章10節より)
悲しみは落ち込ませ、喜びは力付けてくれます。
仕事は喜んで取り掛かると大体うまくいくものです。
憂鬱な心は仕事をする力を奪ってしまう場合もあります。
すでに喜びそれ自体にこれほどの力があるのですから、
主における喜びこそは力の特別な源泉なのです。
この喜びは清く穏やかです。
なぜならこれは、
イエス様のゆえに私たちの罪を赦してくださった憐れみ深い神様に
安心して信頼を寄せる心から生じてくる喜びだからです。
この喜びは時の移り変わりにも失敗や悲しみにも左右されることがありません。
キリスト信仰者はこの世で喜びを保つことができます。
全能なる神様がキリスト信仰者の御父だからです。
神様は私たちが願ったり理解したりすることすべてをはるかに超える
御業を行うことができますし、またそうすることを望んでもおられます。
神様は私たちの一生の間、手を引いて私たちを導くことを約束なさっています。
キリスト信仰者は常に喜びを保つことができます。
なぜなら、
罪から解放してくださったイエス様を自分のためにいただいているからです。
神様との平和が保たれている時、人には恐れを抱く理由が何もありません。
「私は主にあって大いに喜び、私の魂は私の神様を喜びます。
主は私に救いの衣を着せ、義の上衣をまとわせてくださいます」
(「イザヤ書」61章10節より)
と私たちは言い切ることができるのです。
私たちは主にあって喜びつつ試練に勝利する力と、
救い主にお仕えする力をいただきます。
私たちは自分自身に関わる事柄を主の御旨にゆだねます。
神様の平和がキリスト・イエスにあって私たちの心を守ってくれます。
(祈り)
私がどのような日であれ日々生きていく力をいただくために、
救いの御霊なる喜びの聖霊様、
どうかあなたの喜びから私にも喜びをお与えください。
アーメン。
(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」4章4~14節