「高慢の罪」
神様は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜ります。
(「ヤコブの手紙」4章6節より)
人を高慢にする理由はたくさんあります。
人生で成功すること、偉大な才能を持っていること、
また出自の素晴らしさも人を高慢にしてきました。
とはいえ、自分が裕福だからといって高慢になるというのも不可解な話です。
人がこのようになりがちなのは、
自分が高慢になることを許してくれる何らかの「正当な理由」を探し出してくる、
あらゆる罪の根源であり腐敗である「生まれながらの罪」(原罪)が
人間の中に染み付いているからです。
高慢の罪の特徴は自分自身を他の人々の上に置こうとすることにあります。
これは「私には他の人々が持っていないような特別なものがあるから
私は他の人々よりも優れているのだ」という考えかたです。
高慢の罪は自分が神様から賜物をいただいているのを忘れることです。
私たちの成功や才能すべては神様からのものです。
高慢さは本来は神様からの賜物であるはずのものを
さも元々自分のものであるかのように不当に主張します。
高慢になった人はその次には罪に躓きます。
人は高慢になると自分自身や他の人たちの人生をだめにします。
自己満足が強まり、
自分が正しいと思い込み、
神様の恵みから引き離されてしまいます。
神様は高ぶる者をしりぞけるからです。
高慢さを崩してくれる唯一の原動力となるのは、
神様の御霊が人に与えてくださる罪の自覚です。
私たちの高慢さのゆえに、
イエス様は人としての苦しみを受けるために
御自分を低くしなければなりませんでした。
イエス様がこの世に来られたのは
人から奉仕を受けるためではなく、
すべての人のために御自分の命を差し出すためでした。
「私は柔和で心のへりくだった者ですから、
(中略)あなたがたは私から学びなさい」
とイエス様は言っておられます
(「マタイによる福音書」11章29節より)。
(祈り)神様、
私が逆境の時に落ち込んだり順境の時に高ぶったりせずに、
あなたが私にくださるすべてによってあなたを敬えるように、
どうか私を助けてください。アーメン。
(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」2章1~11節