「感謝か、呪いか」
泉が甘い水と苦い水とを同じ穴から吹き出すということがあるのでしょうか。
(「ヤコブの手紙」3章11節)
「舌」は取るに足りないように見える小さい器官です。
しかしこれほど強い影響力があるものはほかにありません。
使徒ヤコブはここで、
舌が実現しうる善いことと悪いことについて語っています。
私たちは舌によって神様を賛美し、
隣り人に、特に励ましと慰めが必要な苦しむ人々に
優しく語りかけることができます。
「イエス様における救い」というよき知らせを舌によって語ることもできます。
それとは別に、のろいや諍いや悪口も私たちは耳にすることがあります。
家でも職場でも、残念ながらキリスト信仰者の家庭でさえも、
悪い言葉は恨みを吐き出し、傷つけ、隣り人の名誉を毀損し、
苛立ちを生み、悪い欲望を起こさせ、神様を侮辱し、
神様の御名が汚され、不道徳な話が心を荒らします。
「勘違いしてはいけません、神様は侮られるような方ではありません」
(「ガラテアの信徒への手紙」6章7節より)また
「泉が甘い水と苦い水とを同じ穴から吹き出すということがあるのでしょうか」
と神様は言っておられます。
キリスト信仰者は神様を賛美する一方で人々を呪うことができましょうか。
答えははっきりしています。
神様を賛美し、祈り、神様の恵みについて証をすることが増えていくとともに、
舌という器官や話す能力を間違って用いる機会も減っていくものです。
(祈り)どうか私が真理から迷い出ていくことがないようになさってください。
私の舌を偽りや空虚なことから守ってください。
話す機会が与えられた場合には、
節度と正しく話す力とあなたの愛を私の心にお与えください。アーメン。
(関連聖句)「ヤコブの手紙」3章