2016年8月31日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「コヘレトの言葉」3章1~4節、7b~9節(その2)

すべてには定められた時があります。
この天の下ではすべての計画にはその時があります。
生まれる時と死ぬ時、植える時と植えられたものを引き抜く時。
殺す時と癒す時、壊す時と建てる時。
泣く時と笑う時、嘆く時と踊る時。
黙る時と話す時。
愛する時と憎む時、戦争の時と平和の時。
(「コヘレトの言葉」314節、7b~9節)(その2)
 
過ぎ去った人生を振り返る時ほど、
その上にはっきりと神様の力強い御手の導きがあったことを
実感する時はありません。

常に神様を畏れ祈るほうが、
これから起こるかもしれない出来事を恐れて自らを責め苛むよりも
はるかによいことです。


人間は物事がいつ始まりいつ終わるかを勝手に決めることができません。
私たちは時間に対して自分の望みどおりにあれこれ命じることができません。
私たちは物事に目標を設定したり、
物事が成功するように勝手に指図したりすることはできません。
そのようなことをしてみたところで、
せっかくの熱意も労苦も無駄になるだけです。
結局のところ、すべては神様がお決めになった通りになるしかないのです。
例として人間の活動をみれば、それがはっきりとわかります。
正しい時は人が自由に選べるものではありません。
したがって、人々は何かを熱心にやろうとはするものの、
そのためにどれほど自分を酷使したところで、何の結果も得られません。
神様が正しい時と瞬間を定めてくださるまでは、何も起きないのです。