2025年11月7日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」4章42節より「私たちは自分自身で聴きました」

「私たちは自分自身で聴きました」

私たちが信じるのは、

もうあなたが話してくれたからではありません。

自分自身で聴いて、

このお方こそが真なる世の救い主であられることがわかったからです。 

(「ヨハネによる福音書」442節より)

 

責任感の欠如した生活を送ってきたある女の人が

イエス様と出会って自分の罪を悔い、

イエス様を救い主として受け入れました。


この女の人が救い主について証をするのを聴いて、

彼女の村の住人たちはイエス様の話を聴くために出かけました。

彼女の証が彼らをイエス様の御許へと導いたのですが、

今や彼ら自身もイエス様を信じるようになりました。


そしてその信仰は、

彼女がイエス様について彼らに話し聞かせたからであるというより、

むしろ「イエス・キリストこそが真に世の救い主である」

というイエス様御自身の言葉によって与えられたものであることを

彼らは公に告白しました。

 

「イエス・キリストこそが真に世の救い主である」

という確信を与えてくれるのは神様の御言葉だけです。

人間の信仰は、

それが説教者の話や人間の理解に基づくものであるかぎり、

確固とした基盤をもつものではありません。

信仰は

神様の御言葉そのものを基盤とする場合にのみ堅固なものとなるのです。

御言葉にしっかりと碇を下ろした信仰は崩れることがありません。

 

いまイエス様は栄光に輝く天国におられますが、

それと同時に私たちの只中にもおられるのです。

聖書の言葉はイエス様御自身の御言葉であり、

聖書を読む時に私たちはイエス様の御声を聴いています。


説教者の巧みさや熱心さなどは決して信仰の基盤にはなりえません。

御言葉において働かれる聖霊様だけが確信を与えてくださるのです。

信仰は人間の宗教性にではなく神様の力に基づいています。

 

御言葉を聴く時に私たちはイエス様を観ています。

このように福音は

たんに言葉としてではなく御言葉の中にある神様の力として

私たちのところにやってきます。

こうして信仰は成長し強められていくのです。

 

(祈り)

主よ、命を与えるあなたの御言葉を聴いて

その中に堅く留まることができるように、

どうか私たちを助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」42842