2024年11月7日木曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」14章18節「あなたはひとりではありません」

「あなたはひとりではありません」

私はあなたがたを捨てて孤児にはしません。

あなたがたのところに帰って来ます。 

(「ヨハネによる福音書」1418節)

 

この世には孤独な人が大勢います。

大群衆の中にいると、ひときわ孤独感が強まります。

都会には誰からも相手にされない人たちがいます。

死の恐怖が孤独を生みます。

罪を犯した者はしばしば非常に孤独です。

周囲の人々から避けられるようになる場合にはいっそうそうなります。

試練や重責から来る孤独もあります。

結局のところ、神様と共に歩まない人は誰であれ孤独なのです。

 

イエス様も荒野で試みを受けられた時に孤独を経験なさいました。

ゲッセマネの園でイエス様はたったひとりで苦闘されました。

しかし、イエス様は弟子たちに

「私はあなたがたを捨てて孤児にはしません」

とたしかに約束してくださいました。

 

イエス様はゴルゴタで神様に見捨てられた時に

最悪の孤独を実際に体験することになりました。

その時にイエス様はたったひとりで世の罪を担われました。

まさにそのおかげで

私たちはどんな時でも孤独に捨ておかれなくて済むのです。

私たちは「イエス様のもの」として、

イエス様のそばにいることが許されているからです。

 

今、イエス様は「御自分のもの」である人々と共に

世の終わりまでいてくださいます。

イエス様は御言葉と聖礼典の中に本当に存在しておられます。

たとえ私たちが日常で孤独を感じている場合であっても、これはたしかなのです。

 

私たちは試みを受ける時、ひとりではありません。

自分の重荷を担う時にも、ひとりではありません。

ですから、悲しみのせいで泣いたりもしません。

病の床にある時も、ひとりではありません。

死の瞬間でさえも、イエス様はあなたと共にいて、

あなたを御許に引き寄せてくださいます。

そうしてあなたはイエス様がおられるところに

いつでもいることができるようになります。

 

(祈り)主イエス様、

あなたが私たちと共に日々いてくださることを感謝します。

あなたに頼りきって目的地に着けるように、

どうか私たちに話しかけ、私たちを支えてください。アーメン。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」141619

2024年11月1日金曜日

「力なき者に力を」「ヤコブの手紙」4章6節より「高慢の罪」

「高慢の罪」

神様は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜ります。

(「ヤコブの手紙」46節より)

 

人を高慢にする理由はたくさんあります。

人生で成功すること、偉大な才能を持っていること、

また出自の素晴らしさも人を高慢にしてきました。

とはいえ、自分が裕福だからといって高慢になるというのも不可解な話です。

人がこのようになりがちなのは、

自分が高慢になることを許してくれる何らかの「正当な理由」を探し出してくる、

あらゆる罪の根源であり腐敗である「生まれながらの罪」(原罪)が

人間の中に染み付いているからです。

 

高慢の罪の特徴は自分自身を他の人々の上に置こうとすることにあります。

これは「私には他の人々が持っていないような特別なものがあるから

私は他の人々よりも優れているのだ」という考えかたです。

 

高慢の罪は自分が神様から賜物をいただいているのを忘れることです。

私たちの成功や才能すべては神様からのものです。

高慢さは本来は神様からの賜物であるはずのものを

さも元々自分のものであるかのように不当に主張します。

 

高慢になった人はその次には罪に躓きます。

人は高慢になると自分自身や他の人たちの人生をだめにします。

自己満足が強まり、

自分が正しいと思い込み、

神様の恵みから引き離されてしまいます。

神様は高ぶる者をしりぞけるからです。

 

高慢さを崩してくれる唯一の原動力となるのは、

神様の御霊が人に与えてくださる罪の自覚です。

私たちの高慢さのゆえに、

イエス様は人としての苦しみを受けるために

御自分を低くしなければなりませんでした。

イエス様がこの世に来られたのは

人から奉仕を受けるためではなく、

すべての人のために御自分の命を差し出すためでした。

「私は柔和で心のへりくだった者ですから、

(中略)あなたがたは私から学びなさい」

とイエス様は言っておられます

(「マタイによる福音書」1129節より)。

 

(祈り)神様、

私が逆境の時に落ち込んだり順境の時に高ぶったりせずに、

あなたが私にくださるすべてによってあなたを敬えるように、

どうか私を助けてください。アーメン。

(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」2111