2024年10月28日月曜日

「力なき者に力を」「詩篇」25篇2節より「私の主」

「私の主」

私の神様、私はあなたに信頼します。

(「詩篇」252節より)

 

信仰を通して私たちには贖い主との絆があります。

キリストを信じる者は皆

「キリストは私を愛し、御自分を私のために渡された」

(「ガラテアの信徒への手紙」220節より)という確信を得ています。

この信仰の絆が私を救い主に非常に近しく結び付けるので

「私の愛する方は私のものであり、私はこの方のものです」

(「雅歌」216節より)と私は言うことができるのです。

 

私たちはイエス様をたんに知識として知っているのでしょうか、

それとも私たちの心はイエス様に結び付けられているでしょうか。

ここに大きな違いがあります。


キリストは死にました。

これは歴史です。


キリストは私のために死んでくださいました。

これは信仰です。


私たちは安心して

「イエス様は私の救い主であり、私はイエス様のものです」

と告白することができます。

J. A. Bengel という有名な神学者は祈りの中で

「そうです、神様、あなたと私を結びつけるのは今まで同様、この絆です」

と言ったそうです。

このような信仰が神様と手をつないで歩むように助けてくれます。

 

この個人的な信仰は

「主は私の牧者です。私には何も欠けることがありません」

(「詩篇」231節)と書いたときのダヴィデにもありました。

 

私が主のものであり主が私のものであるとき、私たちは大丈夫です。

聖なる洗礼を通して

永遠の契約を私たちと結んでくださった方は忠実を貫かれます。

この方は私に力をくださいます。

 

(祈り)三位一体なる神様、

私たちをあなたの義によって覆ってくださったイエス様、

活きた信仰へと私たちを新たに生んでくださった聖霊様、

私たちを御自分の子どもにしてくださった御父様、

どうかあなたの契約の中に私たちを保ってください。

そして私たちが死ぬまであなたに対して忠実でいられるように

どうか助けてください。アーメン。

(関連聖句)「ガラテアの信徒への手紙」3718

2024年10月24日木曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」6章6節より「神様と共に二人きりで」

「神様と共に二人きりで」

 

祈る時は自分の部屋に入り、戸を閉じて、

隠れておられるあなたの御父様に祈りなさい。

(「マタイによる福音書」66節より)

 

これは最愛の友の助言です。

イエス様は絶えずこのように実行なさったのです。

御父様と二人きりになって祈るために、

イエス様は弟子たちから身をお隠しになりました。

私たちの主は十字架の死にいたるまで

御父様の御旨に忠実を貫く力を得たのです。

今、イエス様は御自分に従う者たちに対しても

「祈る時は自分の部屋に入り、戸を閉じて、

隠れておられるあなたの御父様に祈りなさい」

と言っておられます。

 

あなたも神様と二人きりになれる場所を探してください。

たぶんあなたは自然の中で一人きりになれるでしょう。

自然を造られたお方があなたに耳を傾けてくださいます。

海辺でもあなたは神様と二人だけになれます。

神様は海を支配なさっていることを思い起こしてください。

また神様が私たちの罪を海の奥底に投げ込んでくださることを覚えましょう。

 

山に行って孤独の中に分け入りましょう。

山から「上」から助けが来ると

私たちに約束されていることを思い起こしましょう。

モーセと共に山に登り、約束の地を眺めてください。

 

毎日、部屋の戸を閉める時をもってください。

隠れておられる御父様はあなたに報いてくださいます。

あなたの周りには敵が多く、あなたには困難な任務と重い責任があります。

まさしくそれゆえに、神様と共に二人で過ごす時を毎日もつ必要があるのです。

神様が私たちに御言葉を通して語られ、

私たちが神様に祈りを通して心を打ち明ける時に、

この絆はいっそう深まります。

神様はイエス様のゆえに私たちを愛し赦してくださる御父様なのです。

 

(祈り)天の御父様、

いつでもあなたは私たちが祈ること以上のものを

喜んで与えてくださっています。

私たちが勇気をもって足繁く恵みの御座に通うことができるように、

どうか助けてください。アーメン。

(関連聖書)「マタイによる福音書」6513