2025年8月22日金曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」12章30節「あれか、これか」

「あれか、これか」

私と共にいない者は私に反対する者であり、

私と共に集めない者は散らす者です。

(「マタイによる福音書」1230節)

 

口が聞けず目が見えない男の人からイエス様は悪霊を追い出しました。

その後、その男の人は話すことも見ることもできるようになりました。

その場に立っていた群衆は、

このイエスという人が(旧約)聖書にその到来が約束されている

メシアではあるまいか、と思うようになりました。

それに対して、ファリサイ派の人々は

「イエスは悪霊たちの頭領の力を借りて悪霊を追い出している」

と言い張りました。

イエス様はこの言いがかりの愚かさを明るみに出し、

御自分の教えを上掲の言葉で締めくくりました。

 

これは大切な言葉です。


世界は二つの陣営に分かれています。

一方は悪魔の勢力下にあり、

もう一方はキリストが指揮なさっています。

そのどちらにも属さない人は誰もいません。

私たちはキリストと共にいるか、

あるいはキリストに反対しているか、

そのどちらかです。


イエス様こそが

その血によって罪と死と悪魔の圧制から私たちを贖われた

唯一の救い主であられることを信仰を持って告白しない人は、

イエス様に敵対する側の陣営の一員になってしまいます。


もしもこの世を前にしてイエス様への信仰を公けに表さないなら、

また、もしもイエス様と共に人々を永遠の命へと導かないのなら、

私たちは神様の御国の御業を妨げることになってしまいます。

 

好感を抱くだけでは足りません。


私たちは自分を捨て、自分の十字架を担い、

イエス様に従わなければなりません。


イエス様は私たちのために十字架を担い、

尊い代価を払って私たちを「御自分のもの」とするために

い取ってくださったのです。


私たちがどちらのグループに属しているかについて、

聖霊様は曖昧な状態に放置なさらずに、

私たちを決断へと導いてくださいます。

 

(祈り)恵みの神様、

私がいつもイエス様につながりイエス様と共に集めることができるように、

どうか助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「マタイによる福音書」122250

2025年8月18日月曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」1章28節「信仰的に成人になること」

「信仰的に成人になること」

私たちはこのキリストを宣べ伝え、

知恵を尽くしてすべての人を訓戒し、

また、すべての人を教えています。

それは、私たちがすべての人を

キリストにあって全き者として立つようにするためです。 

(「コロサイの信徒への手紙」128節)

 

神様の御言葉の目的は、

一人一人がキリスト・イエスにあって

信仰的に成人になるように助けることです。


私たちは神様の子どもであり、

子どもの素直な信仰をもっていますが、

信仰にかかわる知識においては子どもであってはなりません。


恵みの中で育ち、

救い主イエス様についての正しい知識を深めていくために、

私たちは自分を鍛錬します。

 

恵みの中で育つこととは、恵みを必要としながら育つことです。

私たちは自分のことや自分の罪深さを知れば知るほど、

それだけ深く救い主を信頼することを学ぶようになります。

 

私たちはイエス様を知るようになるにつれて、

知識において、また神様の御言葉についての理解や経験を積んで、

成長していきます。


このようにして信仰的に成人になっていくことは大いなる祝福をもたらします。


さまざまな教えの流行に翻弄されないように私たちを守ってくれるのです。


また、間違った教えの危険についても警告してくれます。


私たちはイエス様の十字架の恵みの中に堅固な避け所を求める大切さを学び、

また、十字架を担う力を得るのです。


恵みの中で育つことは、誘惑や試練の最中でも忍耐する心を与えてくれます。


何が真理であり正しいことかについて、

より強い確信が私たちの中で育まれていきます。


そして、私たちは神様の御言葉に基づいてすべてを評価することを学びます。


また、救い主の光の中を歩んでいくことができるようになります。

 

(祈り)

私の主よ、健全な教えの与える栄養を味わえるように、

また、真理にあってあなたに仕える人たちとの交わりを保てるように、

さらに、キリスト信仰者にふさわしい生活をしていけるように、

どうか私を助けてください。

どうかあなたの助けによって、

私がキリストにあって信仰的な成人となれますように。

アーメン。

(関連聖句)「コロサイの信徒への手紙」12129

2025年8月11日月曜日

「力なき者に力を」「使徒言行録」2章45節「与える者は豊かになる」

「与える者は豊かになる」 

彼らは資産や持ち物を売っては、必要に応じて皆に分け与えました。  

(「使徒言行録」245節)

 

エルサレムの最初のキリスト教会の会員たちは、

その大多数が貧しい人々だったにもかかわらず、豊かでした。

自分の持ち物を分ける時に、彼らは豊かでした。

なぜなら、与える者は豊かになるからです。


日々のささやかな生活を送るのに必要なものより多くのものを

実は自分たちが持っていることに、彼らの多くは気がつきました。

彼らは余剰なものを他の人々に分け与えたので、

皆がそれぞれの必要を満たすことができました。

彼らキリスト信仰者たちは救い主の次の御言葉を覚えていたのです。


「あなたがたが私の兄弟である

これらの最も小さい者のひとりに対してしたことはすべて、

私に対してしたのです」

(「マタイによる福音書」2540節より)

 

与えた人たちは愛に基づいて行動したため、

喜びのゆえに豊かになりました。


贈り物を受け取った人々は

それが愛の贈り物だったことを理解し、

神様が彼らの世話をしてくださることを

以前にも増して信頼するようになりました。


こうして、愛を受けた者が周りにも愛を分けるようになっていきました。

 

私たち怒りの子らを救うために、

神様の愛はその独り子をこの世に遣わしました。


「神様がこのように私たちを愛してくださったのですから、

私たちも互いに愛し合うべきです」 

(「ヨハネの第一の手紙」411節)

と使徒も書いています。


神様の愛が私たちにおいて完全になり、

私たちが互いにすすんで愛し合うようになることを

祈り求めていこうではありませんか。

  

(祈り)

主よ、不正がはびこり多くの人の愛が冷え切っている今日、

どうかあなたの愛を私たちの心に注いでください。

それによって、

私たちが優しい心と燃える愛をいただくようになるためです。

アーメン。

(関連聖句)「ルカによる福音書」103037