「迂回路」
神様は、神様を愛する者たち、
すなわち、御計画に従って召された者たちに働きかけて、
すべてが共に益となるようにしてくださることを、私たちは知っています。
(「ローマの信徒への手紙」8章28節)
幹線道路を車で走っていると、
時おり前方には迂回路へ誘導する標識が目に留まります。
工事中のため、
今までのまっすぐの道から脇の道へ入らなければならないのです。
しばらく迂回路を行くと、再び大きな道のところに出ます。
迂回する道路の状態に合わせて、
一時的に車のスピードを落とさなければなりません。
人生の迂回路の例としては
病気や逆境や損失などを挙げることができるでしょう。
人生のスピードが落ち、
ひょっとしたら自分は間違った道に迷い込んだのか、
今来た道を逆戻りしなければならないのか、
といったことを考える時間も与えられます。
このような後戻りがイエス様への信仰につながっていく場合には
「悔い改め」と呼ばれます。
イエス様を通して、私たちは再び恵みと罪の赦しをいただきます。
私たちは神様なしで、神様に感謝もせず、
呑気に自分の選んだ幹線道路を走っていたのです。
ところが、
神様が私たちへの賜物をしばらくの間取り去られたおかげで、
私たちはそれらの賜物の大切さにようやく気付くことができるのです。
天国へと導いてくれる唯一の正しい道を歩み続けるために、
このような迂回路は必要です。
この道は、主イエス様御自身です。
私たちが自分のために生きず、自分の義に頼らず、
罪人としてキリストの義に避けどころを求める時、
私たちはこの道を歩んでいるのです。
迂回路は大きな祝福となる場合があります。
神様は、神様を愛する者たちに働きかけて、
すべてが共に益となるようにしてくださるからです。
(祈り)私の愛する主よ、
私が人生の歩みをのろくする迂回路に入り込んだ時にも、
あなたの導きの御手を信仰の目を通して見ることができるように助けてください。
あなたの大いなる恵みのゆえに、
天の実家にたどり着くまで私の歩みを導いてください。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」9章1~7節