2025年4月30日水曜日

「力なき者に力を」「サムエル記上」15章22節「従順の道」

「従順の道」

「主はその御言葉に聴き従う事を喜ばれるように

燔祭や犠牲を喜ばれるでしょうか。

見なさい、

従うことは犠牲にまさり、

聴くことは雄羊の脂肪にまさるのです。」

とサムエルは言いました。

(「サムエル記上」1522節)

 

神様はアマレク人とその持ち物を完全に滅ぼすように命じました。

ところが「主に犠牲の捧げ物にするため」という口実で、

サウル王は略奪品の中から最良の品々を取り分けました。


その時、サウルのもとに預言者サムエルが遣わされました。

それは、

サウルの行いが神様をないがしろにする罪であることを

サウルに思い起こさせるためでした。


サムエルが去ろうとして身をかえした時、

サウルがサムエルの上着のすそをとらえたので、それは裂けました。

その時サムエルはサウルに言いました、

「主は今日、あなたからイスラエルの王国を裂き、

もっと良いあなたの隣人に与えられた」。

 

自分の肉的な欲望に応じて、

私たちは神様の律法を緩くしたり、

さらには作り変えたりします。

神様との関係において自分に都合のよい妥協案を考えて、

結局はそれらが私たちの良心の善悪の感覚をすっかりだめにしてしまいます。

 

自分が行った罪や不正を

虚偽の「礼拝」によって取り繕うなら、

従順の道から外れてしまいます。

真理を語り不正を明らかにするべき時に沈黙する場合も、

同じことになります。

間違った教えや虚妄について沈黙するのは、

不従順であることと同じなのです。


私たちはイエス様の犠牲を無駄にしたくはありません。

 

(祈り)主よ、

あなたの御言葉を私の足の灯火とし、

それが輝く星として私の道を照らすようになさってください。

見えない私の目を開き、

弱い私の足を強め、

あなたの道を歩めるように手を取って導いてください。

アーメン。

(関連聖句)「サムエル記上」15122

2025年4月17日木曜日

「力なき者に力を」「詩篇」100篇2節「喜んでいる民」

「喜んでいる民」

喜びをもって主に仕えなさい。

歓喜の声と共に主の御前に来なさい。

(「詩篇」1002節)

 

喜びはキリスト教の信仰に特徴的なことです。

暗い考えや否定的な態度は

キリスト信仰者に関する正しいイメージではありません。

多くの苦しみの最中にありながらも喜んで生きていた人々について

新約聖書は証言しています。

 

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。

繰り返して言うが、喜びなさい」

(「フィリピの信徒への手紙」44節)

と主の使徒は奨励しています。


イエス様を通して、

私たちは神様と仲直りさせていただけるし、

私たちの罪は赦されるのです。


イエス様の血を通して、

私たちは自分の成し遂げたこととはまったく無関係に、

このような者とみなしていただけます。


神様は私たちの面倒を実によく見てくださっているのです。

 

痛みや悲しみや苦悩や欠乏が私たちの上に重くのしかかるとき、

神様は私たちの

痛みを感謝に、

悲しみを喜びに、

苦悩を平安に、

欠乏を豊富さに

変えることができます。


「神様はあなたがたを世話してくださるのだから、

自分の心配事をすべて神様にゆだねなさい」

(「ペテロの第一の手紙」57節)。

 

人生での一番の心配事である「死」という問題もすでに解決されています。

イエス様が復活なさった後に残された空の墓は

死が取り去られたことを私たちに証しています。


命と朽ちないものとが福音を通して私たちのもとへ到来したのです。


イエス様を信じ続ける私たちは

今まで以上に困難な事柄にも向き合っていくことができるようになります。


「よくよく言っておきます。

もし人が私の言葉を守るならば、

その人は永遠に死を見ることがないでしょう」

(「ヨハネによる福音書」851節)。

 

救い主は、

私たちを御許に迎えて、

御自分がおられるところに私たちも一緒にいられるようにすると

約束してくださっています。

 

(祈り)主イエス様、

あなたが約束された全き喜びをどうか私たちにお与えください。

アーメン。

(関連聖句)「詩篇」100

2025年4月11日金曜日

「力なき者に力を」「ローマの信徒への手紙」8章28節「迂回路」

「迂回路」

神様は、神様を愛する者たち、

すなわち、御計画に従って召された者たちに働きかけて、

すべてが共に益となるようにしてくださることを、私たちは知っています。

(「ローマの信徒への手紙」828節)

 

幹線道路を車で走っていると、

時おり前方には迂回路へ誘導する標識が目に留まります。

工事中のため、

今までのまっすぐの道から脇の道へ入らなければならないのです。

しばらく迂回路を行くと、再び大きな道のところに出ます。

迂回する道路の状態に合わせて、

一時的に車のスピードを落とさなければなりません。

 

人生の迂回路の例としては

病気や逆境や損失などを挙げることができるでしょう。


人生のスピードが落ち、

ひょっとしたら自分は間違った道に迷い込んだのか、

今来た道を逆戻りしなければならないのか、

といったことを考える時間も与えられます。


このような後戻りがイエス様への信仰につながっていく場合には

「悔い改め」と呼ばれます。

 

イエス様を通して、私たちは再び恵みと罪の赦しをいただきます。

私たちは神様なしで、神様に感謝もせず、

呑気に自分の選んだ幹線道路を走っていたのです。

ところが、

神様が私たちへの賜物をしばらくの間取り去られたおかげで、

私たちはそれらの賜物の大切さにようやく気付くことができるのです。

 

天国へと導いてくれる唯一の正しい道を歩み続けるために、

このような迂回路は必要です。

この道は、主イエス様御自身です。


私たちが自分のために生きず、自分の義に頼らず、

罪人としてキリストの義に避けどころを求める時、

私たちはこの道を歩んでいるのです。

 

迂回路は大きな祝福となる場合があります。

神様は、神様を愛する者たちに働きかけて、

すべてが共に益となるようにしてくださるからです。

 

(祈り)私の愛する主よ、

私が人生の歩みをのろくする迂回路に入り込んだ時にも、

あなたの導きの御手を信仰の目を通して見ることができるように助けてください。

あなたの大いなる恵みのゆえに、

天の実家にたどり着くまで私の歩みを導いてください。アーメン。

(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」917

2025年4月4日金曜日

「力なき者に力を」「列王記下」6章16節「天使による警護」

「天使による警護」

「私たちと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから、

恐れることはない。」とエリシャは言いました。

(「列王記下」616節)

 

神様は御意思を多くのやりかたで実現なさいます。

目に見えない世界で、神様は天使たちを用いられます。

「主に属する者たち」のために神様の御意思を実行していく

天使たちの実例が聖書にはたくさんあります。

 

偶像の前にひざまずかなかった三人の若者と一緒に火の燃える炉の中に、

天使たちはいました。


勇気を持って信仰を公に言い表したダニエルが投げ入れられた洞穴で、

天使たちは獅子たちの口を封じました。


イエス様がベツレヘムでお生まれになったときに、

天使たちは福音を羊飼いたちに伝えました。

 

預言者エリシャの従者は、

ドタンで敵が町をすっかり取り囲んでいるのを見ておびえてしまいました。

その時エリシャは

神様がこの従者の目を開いてくださるようにと祈りました。

すると、

この従者は天使の大群が彼らを守っていることを見ました。

 

もしもこのような目で霊の世界を見ることができるのなら、

この神様の御言葉が今でも日々実現していることがわかるでしょう。

「これは主があなたのために天使たちに命じて、

あなたの歩むすべての道であなたを守るようにしてくださるからです」

(「詩篇」9111節)。

 

(祈り)主よ、

このようにあなたは今までも御自分の子どもたちを守ってこられました。

そして、彼らから悪の火矢を斥けてくださいました。

危険の只中で旅を続ける私を、

どうか今日も天使の一群によってお守りください。

アーメン。

(関連聖句)「ダニエル記」61028