2017年8月16日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」39篇5~6、8節(その4)


主よ、私の終わりについて、
また、私の人生の長さがどれほどかについて、
どうか知らせてください。
(中略)ごらんください。
あなたは私の人生を両の手のひらほどの大きさに定められました。
私の人生は御前では無きに等しいものです。
(中略)主よ、今私は何を待ち望めばよいのでしょう。
私はあなたに望みをおきます。
(「詩篇」39568節)(その4)

死が信仰をもっているキリスト信仰者に近づくとき、
その人はこう言います、
「ようこそ、愛する死よ。
どんなよいことをあなたは私にもってきてくれたのか。
何をあなたはここで探しているのか。
私の傍に誰がおられるか、お前は知らないのか。
キリストが私の義であられるのだ。等々」。

このようにキリスト信仰者は死をあざけって、こう続けます、
「死よ、お前の刺はどこにあるのか。
地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか」
(「コリントの信徒への第一の手紙」1555節より)、
「キリストは私の命であり、死は私の勝利です」
(「フィリピの信徒への手紙」121節)。

私は、もしも死ぬなら、勝利します。
なぜなら、
それだけいっそう速やかに私は命へと入ることになるからです。
死がキリスト信仰者に対してどのような成果をあげることになるか、
ここからわかります。

死は彼らにとっては勝利にほかならず、
彼らは死によって何も失うことにはなりません。
死はただ彼らに噛み付いて死に至らせるにすぎません。


死は命の始まりです。